【2026年】最低賃金引上げがタクシー業界に与える影響(第1回)|人件費・歩合給・労働時間総量の問題
【2026年】最低賃金引上げがタクシー業界に与える影響(第1回)|人件費・歩合給・労働時間総量の問題

最低賃金の引上げは、働く人の賃金を底上げし、生活の安定を図るための重要な政策です。
一方で、最低賃金の引上げが事業経営に与える影響は、産業によって大きく異なります。
特にタクシー事業では、単純に「最低賃金が○円上がったから、その分だけ人件費が増える」という問題ではありません。
タクシー事業には、高い人件費負担、自由に価格を決定できない認可運賃制度、最低賃金改定と運賃改定のタイムラグ、売上に連動する歩合給、地域による需要格差、そして車両単位での収益確保の難しさという、いくつもの構造的な特徴があります。
これらが重なることで、最低賃金の引上げは、事業者の人件費だけでなく、ドライバーの労働時間、タクシーの供給力、さらには地域交通の維持にも影響する可能性があります。
本稿は、最低賃金の引上げそのものを否定するものではありません。重要なのは、最低賃金によって働く人の賃金水準を改善しながら、地域交通を支えるタクシーの供給力をどのように維持していくかという点です。
令和8年度も最低賃金は大幅な引上げへ
令和8年度の地域別最低賃金について、中央最低賃金審議会は各都道府県の引上げ額の目安を示しました。
仮に目安どおりに各都道府県で引上げが行われた場合、全国加重平均は1,176円となり、全国加重平均の引上げ額は55円、引上げ率は4.9%となります。昨年度よりも引上げ率は低下していますが、全国加重平均の引上げ額は過去と比較しても高い水準となっており、事業者にとっては相当な影響を与えるものです。各地方最低賃金審議会で目安額を軸としつつ、地域の実情を踏まえた審議が行われており、今後、各都道府県で決定された最低賃金が、10月1日以降順次発効する予定です。
政府は現在、全国平均1,500円という最低賃金水準について、「遅くとも2030年代前半、できる限り早期」に達成することを掲げています。こうした方針を踏まえれば、今後も相当額の最低賃金の改定が行われることが見込まれます(これらについては、末尾の関連記事を参照ください。)。
こうした状況を踏まえると、タクシー業界にとって最低賃金の引上げが経営にどのような影響を及ぼすのかを、改めて考える必要があります。
タクシー事業はなぜ最低賃金引上げの影響を受けやすいのか
① 売上高に占める人件費が64.2%――極めて労働集約型の事業構造
タクシー事業への最低賃金引上げの影響を考える上で、まず理解しておきたいのが、その財務構造です。
日本政策金融公庫の「小企業の経営指標調査」(2024年8月)によると、小企業の一般乗用旅客自動車運送業における人件費対売上高比率は64.2%となっています。
つまり、同調査の対象となる小企業では、売上高の6割を超える部分が人件費に充てられていることになります。
この数字は、タクシー事業が極めて労働集約的な事業であることを示しています。
人件費が売上高の大きな割合を占めるタクシー事業では、最低賃金の引上げによる人件費の上昇が収益に与える影響は決して小さくありません。
② タクシー運賃は自由に決められない――価格転嫁に制約がある
タクシー事業のもう一つの大きな特徴は、収入の柱となる運賃について、事業者が一般の事業者のように自由に決定できないことです。
タクシー運賃は道路運送法に基づき、国が審査・認可する制度となっています。したがって、事業者が人件費や燃料費などのコスト上昇を理由として、自らの判断だけで翌日から運賃を引き上げることはできません。
一般の小売業や飲食店であれば、原材料費や人件費が上昇した場合、事業者の判断で商品の価格やサービス料金を変更することができます。
しかし、タクシーの場合は、運賃改定について所定の手続を経る必要があります。
もちろん、タクシー事業者は運賃改定を申請することができます。
しかし、それは「事業者が自由に価格転嫁できる」ということを意味するものではありません。
この価格決定上の制約が、最低賃金引上げによる影響を大きくする要因の一つになります。
③ 最低賃金改定と運賃改定にはタイムラグがある
さらに重要なのが、最低賃金とタクシー運賃では、価格改定の仕組みとタイミングが異なることです。
最低賃金は原則として毎年度改定され、各都道府県で決定された新しい最低賃金が発効日から適用されます。
一方、タクシー運賃は、最低賃金のように毎年度自動的に改定されるものではありません。
そのため、
最低賃金が上昇
↓
人件費が増加
↓
しかし運賃改定が直ちに実現するとは限らない
↓
その間のコスト増を事業者が吸収する
というタイムラグが年単位で生じ、その間の人件費負担は事業者が負うことになります。
運賃改定が実現すれば、その後の収支改善につながる可能性があります。
しかし、運賃を引き上げれば必ずその分だけ売上が増えるとも限りません。
利用者の負担が増えることで、利用控えが生じたり、利用回数が減少したりする可能性もあります。特に地方では、人口減少や利用者の負担能力などによって、運賃を引き上げても、それに見合う需要を十分に維持できない可能性があります。
したがって、「人件費が上がったら運賃を上げればよい」という単純な対応では解決できない問題があります。
歩合給と最低賃金保障がタクシー事業に与える影響
④ タクシーでは歩合給を主体とする賃金制度が広く用いられている
タクシー事業を特徴づける重要な要素が、ドライバーの賃金に歩合給を主体とする賃金制度が広く用いられていることです。
基本的には、
ドライバーが営業して運収を上げる
↓
その成果に応じて賃金も増える
という仕組みです。
これは、固定給中心の産業とは異なるタクシー業界の特徴です。問題となるのは、十分な運収を確保することが難しい地域です。
人口減少地域や需要の少ない地域では、ドライバーが営業しても利用者が少なく、実車時間を十分に確保できないことがあります。
その結果、歩合給等による賃金が最低賃金額を下回る場合には、会社は最低賃金額との差額を保障する必要があります。最低賃金が引き上げられれば、低運収のドライバーについて必要となる最低保障額も上昇するため、事業者の負担が増加することになります。
ここで重要なのは、単に「最低賃金が上がるから人件費が増える」というだけではないことです。
低運収の勤務では、労働時間を増やしても、それに見合う運収を確保できない場合があります。その一方で、最低賃金による賃金保障は必要となります。
そのため、最低賃金の引上げによって、追加の労働時間を確保することがかえって採算性を悪化させる場合には、事業者によっては拘束時間を短縮する方向に対応せざるを得なくなる可能性があります。
これは、最低賃金の引上げが、単純な「賃金上昇」だけではなく、ドライバーの労働時間やタクシーの供給力にも影響し得ることを示しています。
人手不足の本質は「人数」だけではない
⑤ タクシーの供給力を決める「労働時間総量」
タクシーの供給力を考える場合、ドライバーの人数だけを見ることはできません。100人のドライバーがいても、一人当たりの勤務時間が短くなれば、地域全体で確保できる労働時間は減少します。
タクシーの場合、ドライバーが働く時間そのものが、地域のタクシー供給力に直結します。
そのため、
ドライバー1人当たりの労働時間が減少する
↓
地域全体の総労働時間量が減少する
↓
車両の稼働時間が減少する
↓
タクシーの供給力が低下する
という問題につながる可能性があります。
これは、タクシー業界の人手不足を考える際にも重要な視点です。
人手不足の本質は、単に「働く人の数」が足りないということだけではありません。
必要な時間だけ働いてもらい、地域全体として必要な労働時間総量を確保できるかという問題でもあります。
最低賃金の引上げを考える場合にも、この「労働時間総量」という視点が欠かせません。
■ 関連記事(人手不足と労働時間総量の関係については、以下の記事を参照ください。)
第1回コラム記事はこちら➡️🔗第1回 人手不足はなぜ起きているのか ―人口減少だけでは説明できない「人手不足の原因」と労働市場の構造変化―
第3回(その1)コラム記事はこちら➡️🔗第3回 タクシー業界の人手不足の状況について(その1) ― データで見るタクシードライバー不足の現状と構造的課題 ―
最低賃金引上げが交通空白につながる可能性
地方のタクシー事業では、そもそも需要そのものが少ない地域があります。
このような地域では、
運収が低い
↓
賃金原資を確保しにくい
↓
最低賃金引上げによる負担が相対的に大きくなる
↓
必要な労働時間を確保することが難しくなる可能性がある
↓
タクシー供給力が低下する
↓
交通空白が拡大する
という悪循環が生じるおそれがあります。
タクシーは、鉄道や路線バスなどだけでは十分にカバーできない地域や時間帯において、重要な移動手段となっています。そのタクシーの供給力が低下すれば、地域住民の通院、買物、観光などにも影響する可能性があります。
したがって、最低賃金引上げの影響を「タクシー事業者の経営問題」だけとして捉えることは十分ではなく、交通空白の拡大につながる「地域交通の確保に関する問題」として捉えることも重要です。
つまり、
最低賃金の引上げ
↓
タクシー事業の収益
↓
ドライバーの労働時間
↓
タクシー供給力
↓
地域交通
というつながりまで考える必要があります。
前編のまとめ
タクシー事業では、最低賃金引上げの影響は単純な人件費増加だけではありません。
① 高い人件費負担
② 自由に価格転嫁できない認可運賃制度
③ 最低賃金改定と運賃改定のタイムラグ
④ 歩合給と最低賃金保障、及び地域による運収・需要格差
⑤ 労働時間総量とタクシー供給力の関係
という複数の要素が重なっています。
特に地方では、最低賃金の引上げが事業者の経営だけでなく、ドライバーの労働時間、タクシー供給力、さらには交通空白の問題にまでつながる可能性があります。
最低賃金によって働く人の賃金水準を引き上げることと、地域住民に必要なタクシー供給力を維持することは、決して別々の問題ではありません。
今後、最低賃金が継続的に引き上げられていくことを考えれば、タクシー事業についても、賃金水準の改善と事業の持続可能性、そして地域交通の確保をどのように両立させるかという視点が、ますます重要になります。
では、最低賃金の引上げに対応しながら、タクシー事業の収益力を高め、地方の供給力を維持していくためには何が必要なのでしょうか。
次回は、タクシー事業における本当の「生産性向上」とは何か、DXや需要分析をどのように活用すべきなのかについて考えます。
■ 関連記事
関連記事(令和8年度最低賃金改定の状況等については、以下の記事を参照ください。)
🔗2026年度最低賃金改定はどうなる?最新動向と今後のスケジュールを解説
🔗【前編】令和8年度最低賃金改定の目安を解説|引上げ額・地方審議・発効日はどうなる?
🔗【後編】令和8年度の都道府県別最低賃金はどうなる?東京・神奈川や各ランクの見通し
🔗【2026年最新】令和8年度最低賃金改定状況|都道府県別の引上げ額・発効日一覧
🔗【タクシー業界】最低賃金引上げに必要な生産性向上とは(第2回)|DX・需要分析・ドライバーへのフィードバック
🔗【2026年・都道府県別】最低賃金引上げがタクシー事業に与える具体的影響(第3回)|最低賃金を満たすために必要な時間当たりの売上は?
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■ 執筆者
久富 康生
一般社団法人全国ハイヤー・タクシー連合会 常務理事(元長野労働局長)
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